新潟県水泳連盟 Niigata Swimming Federation

 続々・水泳の指導者 林 利八

『水泳にいがた』2004 vol.9掲載文全編収録

 1.外国で出会った指導者 (1) アメリカ  (2) ドイツ  (3) ノルウェー 

  2.これからの選手育成 (1) よき社会人の育成 (2) 興味・関心を高めるための処方 (3) 知的学習と練習 

水泳の指導者」「続・水泳の指導者

  1. 外国で出会った指導者 

(1) アメリカ 

 かつて、文部省(現在の文部科学省※編者註)から派遣されスタンフォード大学で3ヶ月間、主として水泳の指導の研究に携わった。サンフランシスコからバスで1時間少々、広大な敷地、換算すると長岡と新津間くらいの驚嘆に値する広さの中にあった。当時ノーベル賞を受賞されたことのある教授が10数名おられるとのことであった。学内には50メートルプールが1、25メートルプ−ルが4、他に飛込みプール、シンクロ・潜水訓練兼用が1と目的別に使用されていた。

 陸上競技のトラックは3、そのうちのひとつはサッカーのワールドカップ・アメリカ大会で日本でも知られた存在である。学内にあるゴルフ場は全米女子選手権も行われたことのある著名の施設である。およそ、スポーツ関連の施設は紹介すればかなりの紙面が必要となり、このことで羨ましいやら、ビックリしたのが最初の印象であった。

 水泳部は男女に分かれ、男子は日本にも度々講習に来たスキップケニー、女子はアメリカ・オリンピックチームの監督を20年近く勤められたジョージ・ヘインズ氏が監督であったとき、モスクワオリンピックをボイコットしたアメリカチームの代表選手が5名その中にいた。

 アメリカの水泳コーチは選手作りの実績が認知されると、他のスイミングから高給優遇の条件で迎えられるというのが一般的である。従って、手の内を見せないほうが有利なのに、コーチの研究会では、私の成果はただ一人の結果に過ぎない、多くの方から私のトレーニングの処方を確かめてほしいというような信じられないオープンなことを数回目撃した。

 ジョージ・ヘインズ氏は、一世を風靡したサンタクララのヘッドコーチの経験もある。ヘインズ氏に敬意を表したことの一つは、選手の心を捉えることのすごさである。泳ぎを見て、いろいろな心理的な分析をされ、それが見事に的中するのである。

 例をあげると、選手が練習に集中していないのを見るやソフトボールをやらせたことがあった。
 「選手は水泳だけでなく、他のスポーツにも当然のことながら関心を持っている。他のスポーツをやらせることにより、その欲求が充足されること、水泳への懐かしみを感じさせること、そのためですよ。」と仰せられた。しかも、明後日には競技会を控えていたときだけに、質問した。「もしも怪我をしたらどうするんですか」という質問に対して、「彼らはまだ若い、水泳人生はまだまだ長いのです。」選手への質問には、「水泳は単調で少し興味をなくしていたとき、ソフトボールをやったら満足、また水泳をやりたいと思った。」との答えが返ってきた。

 選手たちは木曜日の夕方、毎週バーベキューの会を開いてくれた。その会にもいつも招待された。都合がついたら来てください、というのではなく、必ず来てください、という招待の仕方である。困ったことがあったら何なりとご用命ください、という彼らの好意は今も熱い思い出となっている。ゲストへの対応も監督の日ごろからの指導ということが、数週間後には気がついた。また、日ごろ奔放な服装をしているアメリカの学生たち、何かのパーティでは全員、紳士、淑女の服装で現れるのも、これまたコーチの日常の指導の賜物ということも分かった。

 練習後、選手たちは5分で着替え、一目散に自転車でどこかに消え去るのを見て、それがどこかを知るにはかなりの時間がかかった。彼らの行き先は図書館であった。

 スタンフォード大学は、高校の成績がオール5でないと入学できないということが知られている。さらに成績だけでなく、水泳などの運動に秀でているとか、音楽・芸術、何かに優れているものがないと入れないとされている。そして、貧しいものには潤沢な奨学金が与えられている。水泳の選手も例外でなく、奨学金で水泳と勉学に勤しんでいる。ただし、水泳競技の成績が振るわないと奨学金が停止されるし、勉学の成績が下がると、これまた奨学金の停止となる。選手が、勉学、練習に打ち込むその背景が理解されるには、さらに多くの日にちが必要であった。

 結論的に言えば、アメリカでは、たとえ、オリンピックで優秀な成績を残しても社会を生きてゆく上では決定的な評価にはならない。コ−チの根源的な課題は、選手一人一人がよき社会人となるための必要な要件を日ごろの練習の中で形成させる事を指導者の基本的な役割と心得ているということである。

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(2) ドイツ 

 山本会長の命により、ドイツ・トリヤ市に高校生、大学生15名の団長ということで2週間ほどホームステイで滞在した。全員長岡市および周辺の水泳選手たちであった。英語力もさほどでなく、ましてドイツ語など全然ご存知ない選手たち、いったいどのようにコミュニケーションを持つのだろうか、不安と心配での出発であった。でも、その懸念は危惧であることがやがて判明、水泳の選手たちを見直したのである。

 辞書を片手に、ボディラングェージ、見事に相手に分からせるのである。微にいる細やかな伝達は不可能であるが、日常の基本には苦労を伴いながらも日程を無事終了し、別れを告げるときには抱き合い、涙を流しながらの別離であり、言語を超え、国の違いを乗り越え、選手たちはドイツと日本との交流に寄与した。

 ある日、ある地域の水泳チームとの交流を行った。シーズンオフであったことから、ウォーターシュートでの日・ドイツ大会であった。
 コーチいわく、「水泳の練習は単調になりやすい。およそ、水に関するいろいろな体験を通して、水の性質を理解させることは絶対に必要であり、特に速さへの挑戦をするには、プールで泳がせているだけではダメ。そして、若い選手ほど、水の中での活動に楽しさを常に演出して練習への楽しさ・関心を高めねばならない。それこそ、コーチの腕」と力説された。

 まさに同感。昔、体操でオリンピック4回出場され、現公安委員長・小野清子さんの背の君、小野喬さんが、我々水泳部員に、「水泳はプールでただひたすら往復するだけで何が楽しいのか。」と尋ねられたことがある。その言葉とオーバーラップしてみると、水泳の指導者への忠告と受け止められないだろうか。

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(3) ノルウェー 

 10数年前、日本体育協会の海外研修でノルウェーのスキーチームの監督、コーチと半日意見交流を行う機会があった。オリンピック冬季大会リレハンメル大会の1ヶ月前であった。ノルウェー・チームのコーチの発言は今も強烈に耳に残る。

 「日本の選手の合宿を見て、あれなら絶対に勝てる。」という言葉であった。その理由。日本選手はコーチの言われるまま、主体性がない。そのコーチは、「そもそもコーチの役割は選手に自主性と自覚を持たせることができれば満点。自主性と自覚を持たせれば、選手が風邪を引かないように健康管理をするし、自分の欠点を矯正するには[どうすればよいか※編者註]と取り組むようになるし、トレーニング理論も自ら学ぶようになる。」というのである。「日本には負けない。」と自信に満ちた発言であった。

 そのジャンプのコーチは予言通りジャンプの優勝に導いた。

 ノルウェーの国際レベルの選手合宿に1週間滞在したが、食事のお粗末なこと、私たちの喉を通りにくいものばかり。我々の質問、「こんなまずいものを選手が文句言いませんか。」に対して、「普段、家では美味しいものを食べているからこそ、こんな食べ物でもいいのさ。こんなことに文句を言っているようでは勝てないさ。」と、日本のどこかの連盟会長のお言葉と同じ答えであった。

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  2. これからの選手育成 

 (1) よき社会人の育成

 大会運営に携わる立場としては、前日本水泳連盟会長・古橋広之進氏の常々の発言を大切にしなければならない。確かに、厳しいトレーニングに耐える忍耐力、強い体力の養成は保証されているとしても、それらだけを目的としての選手養成でよいのだろうか。選手としての時は短い。一人一人が社会で求められるのは人間性であり、能力である。

 高校野球の選手へのインタビューを見て、その対応の仕方、言葉遣い、態度、監督の日ごろの指導のあり方がたちどころに解る。水泳の選手も日ごろの言葉遣いがもろに出て、視聴者から顰蹙を買っていることがある。インタビューを受ける立場の者だけに限らず、言葉遣いなど、日ごろの練習の中でコーチの役割は多岐にわたっていることを自覚しなければなるまい。

 大会での開会式、競技中の選手のマナー、コーチの言動、これらは大会役員だけでなく、応援の観客からも多方面から観察されていることも忘れてはならないし、お互いに自制しなければなるまい。

 よき社会人とは、健康で明るく、誠実な、人から愛される人、たとえ、競技力は高からずとも、そんな人間性を選手育成の基本におきたいものである。

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 (2) 興味・関心を高めるための処方 

 アメリカのエージンググループの指導で目にしたことで印象的なことは、蹴伸びの練習に力点を置いていることであった。水の抵抗の実感を理解させ、泳ぎの基本の姿勢を理解させる。スタート・ターンにつながる基本を、毎日毎回、競争形式、遊戯形式と、手を替え品を替えて行うようにする姿勢に、基礎・基本を重視するコーチの生き様を見た。

 運動学習は、知的理解で成果を得ることは少ないと言われている。コーチの言葉や説明でできるようにはならない。あくまでも選手自らが活動を通して体得、理解していくものである。百万遍の言葉より、選手が理解、体得するような場面、内容、段階を設定したり、遊戯的な内容を準備するよう、コーチの工夫や学習が必要であろう。

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 (3) 知的学習と練習 

 サッカー連盟の国際レベルの選手たちの語学能力を高めるための方策が過日示された。一般社会人は、さらにその能力が問われる時代となってきた。

 水泳の練習では多くの英語が使用されている。細かな意味はともかく、小学校高学年では数回使えば身に付くことが、外国語の分野でも常識である。練習と知的学習を関連づけることが可能なのである。そんなことが子供たちの語学に対する関心を高めることに通ずるのである。

 水泳関係の英語が理解できるだけでも子供たちの成長が期待できる。 あるいは、距離、時間という理解を深めることも、自らの記録を元にしたら関心を深め、知的理解力の向上につながる。

 日々の練習の反省、記録など、言語表現の学習として大切な場面となる。特に、自分の課題が達成されたときの感動は大きく、表現にもその感動が率直に綴られる。

 水泳の練習も、やり方次第で総合的な学習が可能となりうる。水泳が総合的な学習場面として子供たちに捉えられたとき、水泳の学習の成果が大きくなることを、コーチから認識して欲しい。

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                    (新潟県水泳連盟副会長)

[おことわり] 一部、ブラウザー上で読みやすいように手を加えてあります。
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